明治時代の群馬県

明治時代の群馬県

明治時代の群馬県は、養蚕を育てるのが盛んでした。その蚕で絹の糸を作っていました。
上質な糸で、有名でした。多くの若い女性が、日本各地から出稼ぎに来ては、そこで絹の糸を作っていたのです。
裕福の人の着物やスーツとして使う為に多くの商人も訪れては、その絹の糸を大量に買って行きました。

 

群馬県は、水田が少ない為に、あまり米に力を入れていません。ですから、この糸に力を注いでいました。
農家の副業として多くの農家で作っていました。
その群馬の糸が海外で有名になったのは、ヨーロッパの蚕が病気にかかってしまった為に、日本から多くの蚕を輸出した事がきっかけです。

 

明治のはじめの頃に、そういった外国とのやり取りが始まりました。その当時には、農家が3万件も群馬県にありました。
その80%で蚕の養殖をやっていたのです。蚕で糸を作る時には、お湯の中に蚕の繭を入れる為に、多くの湯気が建物の中に充満していました。

 

その蚕をヨーロッパに輸出する時の商談する人に、田島弥平がいました。イタリアへスーツを着て、商売に渡り歩いた人です。

 

その充満した湯気を外に逃す為に、屋根の上には湯気の出る空気抜きが付けられていました。今でも、その当時の名残が屋根に取り付けられている家があります。
その群馬県と埼玉県の境には、利根川という大きな川が流れています。とても美しい川です。

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